負け人の遠吠え  〜2030
 
240225 近未来都市交通の嘘

現在の道路を走る車かのように、都市のビル街を無数の小型航空機が飛びかってる未来社会。SFでもアニメでもほぼ必ず出てくる近未来都市予想の一つですよね。実際最近は車に翼を付けたような小型機や、単座あるいは2人乗りくらいまでの超小型機とか開発ニュースを見かけることも時々あります。
でも筆者は断言します。
あのような小型機がビル街の空路をひらりひらりと自由に飛び交う未来はきません。
某映画のように地上数10cmの高さを飛行する機体が、交通手段(遊具は除く)として自転車やバイクに変わって現れることもありません。
空中に道路があるかのように航空路が三次元的、且つ信号付きで整備される事もありません。
みんなさー、摩擦とか重力(遠心力や慣性力含む)とか分かってんの?って話。

車は路面にゴムタイヤが接触し大きな摩擦抵抗を得られるから急加速できるし、ちゃんと曲がれるし、しっかり止まれます。
鉄道の多くはレール対車輪が鉄どうしで摩擦抵抗はそこまで大きくないけど、その分重量が車より桁違いに重いため制動距離は長くなってもちゃんと止まれます。
船は大きくなるほど慣性も大きく止まりづらくなるけど、元々スピードが遅く水の抵抗もそこそこ大きいためこちらもちゃんと曲がれるし止まることができます。
しかし空気が相手となる航空機では機体の大小に関係なく、それらの抵抗は桁違いに小さく空中での急旋回や急制動はできません。そりゃ個体・液体・気体の密度差を考えても感覚的に分かるでしょう。ある程度重量ある飛行体では空気中における方向転換とか容易ではないのです。それはホバリングできるヘリコプターやドローンでも基本的に同じです。

元々航空機は空気中で揚力を効率よく得るため、基本的に高速飛行することが必要不可欠な乗り物です。比較的低速でも乗員1〜2人なら何とかなってもグライダーのような馬鹿でかい翼が必要となり、それで都市交通の一翼をなんて到底不可能です。そもそも存在意義的により早い移動手段として、他の交通手段を凌駕しなければなりません。結果、揚力とスピードのバランスの中で出来る限り抵抗を小さく、且つ多くの乗客を乗せられなければ旅客輸送としての実用性はないでしょう。その抵抗が小さいと言うことこそ飛行中の向きを変えづらいと言う理由でもあり、一瞬で自らの向きや羽ばたきを変えられるトンボやツバメのような飛び方はできないのです。
掌に載るような超小型ドローンとかならそれなりに自由がききホバリングもできますが、人が乗るほどの重量と大きさになればとてもそうはいきません。戦闘機とかスッと機体を傾け一見急旋回できるようにも見えますが、その旋回軌跡はとても大きな弧を描いています。それはホバリングできる機種も上述通り人が乗るほどの大きさになれば同じなのです。

更に決定的なのは超小型ドローンと同等の運動能力で急旋回や急制動できるようになったとしても、乗ってる人はとてもその重力変化に耐えられません。その運動性は人が耐えうる肉体的限度を遙かに超えてると言うことです。もちろん機体強度は当たり前に耐えるとして、運転しているあるいは乗り込んでいる乗員乗客が気絶せず普通に耐えられる範囲であること。換言すればそれは現在の車なみまでが限度で、それ以上の運動性を発揮することは人が乗る前提では意味がないってことです。控えめに言っても世の中の90%以上の人は現代のF1やエアレースのgにさえ耐えられないでしょう。未来の乗り物であれば当然今以上の安全性や快適性も求められる訳で、それこそスポーツとしてのみ成立する重力変化を一般人が体感しても不快な生理反応が出るだけです。

けっきょく航空路がいくら三次元的に整備されたとしても、それは離れた都市間を結ぶ直線路が基本です。都市空間のビル街を先の未来予想図のように無数の小型機が高速急旋回しつつ飛び回るなんて、人の肉体的限度を超えてるばかりか余りに危険すぎてあり得ません。それはパイプ状構造物内を移動する乗り物でもけっきょく同じで、エレベーターのように直線移動はできても曲率があればスピードには自ずと限度が生じます。それらを理解してないのがあの種の物語や近未来想像図であり、言葉悪いけど嘘と勘違いと創作の極みです。現実にはあり得ない世界なんです。
遠い未来、重力や遠心力、慣性力等のコントロールがすべて人類の手中となり初めて現実化する世界であり、それは近未来話として治まりきる年数では到底迎えられないでしょう。
 
 
240217 田舎人の独り言

同じ関東でありながらこちら田舎の住人からの話。

東京(23区内)は冬季氷点下になることなんて精々数回程度なのに、寒い寒いと煽るマスコミにどこぞの冬服メーカーが金廻してるんだ?っと勘ぐりたくなるのは筆者だけか?

NHKを含む東京キー局での話しだから一応関東圏内に限定するとして、群馬県の当地では冬の最低気温なんて氷点下が当たり前。マイナス二桁まで下がることは多くて5回くらいまでだが、−5℃前後までなら普通に続くし経験する。晴れた昼間の最高気温だって一桁半ばまでが当たり前。ところがまったく氷点下にもなってない11月頃から東京で町ゆく人は、羽毛やファーのジャケットをモコモコにまとった人でいっぱい。いったい東京人てどこまで寒がりなんだ?

古い作りの当家には今では懐かしい縁側があり、晴れていればそこは冬季でも25℃以上となり暖かいと言うよりむしろ暑いと表現するレベル。しかしその縁側も全面ガラス戸のせいか北側の部屋と共に早朝では一転して冷え込み厳しく、室内でありながら氷点下となることも稀では無い。もちろんそんな時、人がいる部屋ではエアコン、ファンヒーターやこたつ等の使用は欠かせないのは当たり前。それでも前者16℃、後者12〜14℃と設定できる最低温度で使用しているが、オーバーシュートもあるのでほとんど問題となることはない。

東京で言う寒さ、こちらで言えば暖かさのレベルで、あそこまで冬服パンパンに着るか?と言うのが正直な感想。あれって寒さ対策と言うよりファッションなんだろうなと勝手に思ってる。みんなが着てるから私もと言う、仲間はずれを極端に怖がる心理なんだろうね、っと解釈。言っちゃ悪いが特に女性ははやりのファッション優先なんだろう。

国や都がどう言おうが省エネキャンペーンしようが、震災時の計画停電も知らない東京人の多くは冷房も暖房も25℃設定がマストなんだろう。実際うちの複数の親戚だってそうだ。精々冬が22℃前後になる程度。だから夏より冬の方が内・外の温度差が大きくあのような厚着になるんだ。
田舎人はそう理解している。
 
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