国指定名勝「楽山園」と城町
最終更新2012年4月 1日
 
織田宗家御殿跡として城下町のシンボル的存在の楽山園。
その楽山園は小幡城町(しろまち)内の甘楽第二中学校西隣にあります。
中学生の頃、御殿跡と聞いてはいたけど、こんにゃく畑や桑畑に囲まれた「大岩の転がる前方後円墳?」程度の認識しかなかった。
それが1999年11月、国の名勝に指定されちゃってびっくり。
畑は発掘の結果、往時の池や噂通りの御殿とその周囲にも遺構がぞろぞろ。
すでに復元作業も完了し、2012年3月24日県内唯一となる江戸時代初期の大名庭園として蘇りました。
 
楽山園

この写真は整備開始後間もない2000年4月13日のもので、整備済みの現在写真の桜はなくやや趣を異にしています。
甘楽町南部の山々や小幡富士、紅葉山を借景とした楽山園です。
上写真の右側に屋敷跡が広がり、下写真はその屋敷側から往時の為政者が見たであろうアングル。
楽山園は織田信長の次男、信雄が京都の桂離宮を模して作ったと言われています。
 
武家屋敷の食い違い郭

クランク状に曲がった山田家の食い違い郭。
外敵を防ぐためとも、下級武士が上級武士に顔を合わせたくない時隠れるためとも言われる。
 
武家屋敷

小幡藩勘定奉行を勤めた高橋家の武家屋敷。
屋敷内部には当時の庭園が今も残る。
 
HOME       BACK